難所多数!? 災害時帰宅訓練を実施しました
お疲れ様です。広報課の佐伯です。
5月のある日、DAC東京本部では災害時を想定した帰宅訓練が実施されました。
東日本大震災で交通機関が麻痺して多くの帰宅困難者が発生したことを受けて始まったもので、今回で3回目です。
実施の経緯
帰宅困難になった場合は、緊急車両の妨げになったり群衆なだれ等による二次災害の危険性があるため、「むやみな移動・帰宅は控える」のが基本です。
しかし、地元に小さな子供や高齢の家族がいるなど「家族を守るためにどうしても帰らないと」という例も、実際には予想されます。
(東日本大震災の時には、緊急下校となった小学生が鍵のかかった自宅に夜まで入れない…という事例もあったそう)
そしてそんな「やむを得ない状況」は今後誰にも起こりえる、ということで、東京勤務の全社員を対象に行われました。
※もちろん会社に留まることができるよう、東京本部では備蓄品の確認等も随時行っています
集合~避難開始
迎えた当日。館内アナウンスののち、各社ごとに階段で1階まで避難し、会社のある台東区が指定する「避難場所」の上野公園に移動します。
近所だけど行ったことがない、という人は多かったかもしれません(自分もです)。
点呼が完了したら、同じ方面のメンバー数人でまとまって帰宅します。
今回は訓練なので公園の迷惑にならないよう、会社ごとに時間差でスタート。私は15時すぎに自宅(横浜)方面に向けて出発しました。
以下、簡単なレポートです↓
避難レポ
<15:10>上野公園を出て、帰宅開始。
最大7車線ある幹線道路「中央通り」を南下します。
<15:30> 秋葉原付近。
歩道は広めのですが、買い物客や観光客が多すぎて通常の1/3程度のスピードでしか歩けません。
落下の可能性がある電飾系の看板も多く、広い道=安全、では決してないということを痛感します。
<15:50>御茶ノ水付近。
災害時はスマホの電波も入らない可能性が高く、案内看板の存在は大きそうです。
<16:00>神田橋。
上を走るのは首都高速。大地震が来たらこのままの状態でいられるのか…、と不安を覚えつつ、東京も意外と橋が多いことを実感します。
<16:20>
千代田区の「災害時退避場所」に指定されている、皇居外苑を通過します。
かなり広い平地です。
<16:50>日比谷公園を超えて、芝公園越しの東京タワー。
このルートは比較的大きな公園が点在します。
<17:10>三田付近。
国道15号(第一京浜)は警視庁が指定する「緊急交通路」の予定路線。
国道1号、中原街道、目黒通り、湾岸通りなど35の代表的な路線が同様に指定されているので、大地震が起きたら都内での一般車の移動はかなり制限されます。
<17:15>JR田町駅。
高架のペデストリアンデッキ。新しくてきれいですが、ここも「橋」なのだと再認識します。
<17:35>
田町駅を海側に超えて、芝浦エリアを歩きます。
バス通りを進みますが、この道は「防潮施設が損傷した場合」、50センチ未満の津波浸水が予想されています。
人通りも少なく、非常時の一人歩きは別の危険もありそうです。
<17:55>天王洲橋。
この手前には津波や高潮による浸水を防ぐために整備された天王洲水門(↑の〝防潮施設〟)があります。品川区周辺には水門が5基あり、いずれも設置は1972~1977年。半世紀前から対策がされていたのだ…と歴史を感じます。
<18:05>北品川商店街。
民家や小規模な店舗が並ぶ風情のある通りです。付近には地震による大火災が懸念される「密集市街地」指定エリアがあります。
<18:20>青物横丁駅で日没タイムアップ。
体力的には多少余裕が残っているものの、「往復しろ」と言われたら断るレベルの疲労感です。
実際に歩いてみて
3時間あまりで進んだ距離は約12キロ。会社から自宅までの道程の1/3以下です。
出社後朝いちで被災したとしても、明るいうちに自宅に帰るのは不可能です。
帰宅が不可能とはいえ、自宅までの距離やその道中を知っておくことで、「帰宅困難になったらどうするべきか」を具体的に考えるきっかけにはなりました。
会社での留まり方や周辺の一時滞在施設を把握しておくこと、雨具や運動靴の常備、テレワークの適切利用によるリスク分散など、考えたり備えたりできることはたくさんあるなと改めて実感しました。
最後に
訓練を終えて、担当者であるDAC危機管理委員会の川﨑委員長から社員の皆さんにメッセージを頂いています。
帰宅訓練は、今週末にも実施予定です。
今回参加できなかった方は皆さまご参加ください🚶♀️