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DACグループ思い出リレー #4 福井丹三編

前回、株式会社ピーアール・デイリー石崎さんからバトンを受けたのは株式会社デイリー・インフォメーション専務取締役の福井丹三さん。多くの拠点を経験してきた福井さんにはどんな思い出があるのでしょうか。
2回にわたってお届けします。


先が見えない不安とやりがいに満ちた入社当時

私がDACに入社した頃は、地方拠点は仙台営業所のみ。デイリースポーツ案内広告社(DAN)、ピーアール・デイリー(PRD)、デイリー・インフォメーション(DIN)全社員合わせても100名弱の規模で、石川社長が陣頭指揮をとっていました。
当時の雰囲気は今とは全く違っていて、良くも悪くも“規格外”な人が多かったように記憶しています。
私は中途で5月に入社しましたが、ちょうどDACグループが新卒を取り始めたときで、ちょうど新卒1期生とほぼ同期入社となります。同期にはDAN浜田さん、DACホールディングス佐々木さん、DIN伊藤香さん、PRD関口さん、デイリー・インフォメーション関西新藤さんなどの強者が揃っています。

20代の頃は、石川代表の圧倒的なリーダーシップに引っ張られて、日々、がむしゃらに過ごしていました。
当時20代の社員が多く、30代~40代の先輩が少人数しか在籍していない状態だったので、「先の未来が見えない・想像しにくい」という悩みを持つ社員も多くいました。
研修などで集まると同世代のメンバーで

「我々世代が会社にしっかり残って役割を担い、下の世代が安心して働ける環境を作って行こう」

と話をしていたことが懐かしく思い出されます。
その当時は、歴史があれどなぜ多くの先輩方は残っていないのか疑問に感じていましたが、逆にやりがいもあり自己成長につながるとポジティブにも捉えてました。

そして本当に大変なのは我々ではなく、石川社長だと感じていました。
社長からすれば自分の子供世代を直接指導して幹部に育てていかなければいけなかったのですから。

時間とお金(勿論愛情)を惜しむことなく会社や社員へフルパワーで注力してもらえたからこそ、今の幹部陣やその下に続く多くの仲間が現在も残っているのだと、この精神・姿勢がDACの根源であると感じています。

タクシーで怒られ、徒歩でも怒られ・・・

本当に当時は毎日飲みに行っていましたね。
今考えると信じられないくらい(笑)。
遅い時間に仕事が終わって、飲みに行くとやっぱり終電がなくなってしまうんですよね。
当時私は新婚で、給与もまだまだ高くなかった時代なので、余裕はなかったはずなのですが、お酒が入り部下の悩みを聞いているうちにすっかり調子に乗ってしまったのか、当時住んでいた川崎の登戸まで御徒町からタクシーで帰宅。財布には数百円、寝ている妻を起こしてタクシー代を当然のように貰って支払いました。
勿論、翌朝物凄く怒られました。次の日は早く帰ろうと思っていたのですが、そんな時に限って部下が悩んでいるので相談に乗って欲しい・・・。
当然、前日のことを忘れるくらい真剣に部下の相談に乗り、熱い語らいを終えて帰るときには終電が終わっていました。
さすがにタクシーでは帰れないと思い、酔いに任せて登戸まで歩いて帰ることに。多摩川を越えるころには朝を迎えていました。
家に帰りシャワーを浴びて、やっぱり妻から怒られ、そのまま出勤―なんていうこともありました。
そんな日々も今では良い想い出ですね。

名古屋営業所への異動

私は、入社してから東京本社にて5年働き、名古屋営業所に修行の為配転となりました。
当時名古屋は8名でワンルームマンションの事務所から引っ越しをして拡張していこうと成長戦略を構想していました。
当時の上司は現在NIKI Hillsにいる関沢さんで色々と教えて頂きました。
転勤2年後私が所長になり、そこから2年後に石崎さんがPRD名古屋営業所の強化で着任してきました。
ご存知の通り、石崎さんはとっても熱く、愛社精神も強く、自分の信念を持っている人です。
一緒に働いたのは2年弱ですが、毎日のように社員と一緒に飲みに行きDACの考え方や名古屋営業所の今後について熱く語ったことが今でも名古屋の礎となって残っていると思っています。


前編はここまで。後編は福井さんの成長に影響を与えた出来事についてです。乞うご期待!

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