DACグループ思い出リレー #12 横山 達司 編
前回、デイリースポーツ案内広告社の福西さんからバトンを受け取ったのはピーアール・デイリー 取締役部長の横山達司さんです。
人材紹介事業部立ち上げ
DACには2003年に中途入社しました。
一番印象に残っていることは、やはり今の人材紹介事業部の立ち上げ時代の苦しさでしょうか。求人広告の営業を入社以来ずっとやってきて、そろそろ新しいことをやりたいなと思っていたところに、人材紹介事業部を立ち上げるという話になり、手を上げました。7年ほど前、30代半ばのことです。
月末まで、求人広告の営業として数字を追って、月初(つまり次の日)からいきなり人材紹介事業部を立ち上げ。
事前準備0の状況でいきなり新部署がスタートしました。
手を挙げたはよいものの、知識は全くなく、新規事業なので教えてくれる人も誰もいません。
まずは大手他社のリサーチから始まり、契約書関連の作成などをし、営業を始められる体制を整えました。
そこからは求職者集めと法人営業を始めたのですが、全然だめ・・・。
まず、登録者を集めることも大変でしたが、集まった登録者と企業とのマッチングが全然できませんでした。
人材紹介というビジネスは、ピーアール・デイリー(PRD)にとっては新規ビジネスですが、世の中的にはすでに大手が何社もあり、二番煎じどころか二千番煎じの後発です。その中でうちで登録してくださる求職者は、大手では高年齢や経験不足などが原因でマッチングが難しかった方が多く、当然うちでも同じ理由でマッチングできません。せっかく登録してくださった方になんとか転職支援をしたかったのですが、上手くいかない状況が1年半くらい続きました。
営業・エンジニア・介護・看護など、色々試しましたが、毎月の売上はほとんど0という状態が続き、光が全く見えませんでした。
正直、求人広告ではそれなりに実績をあげれていたつもりだったので、同じ感覚で少し調整すれば通用するかなとなめていたところがありました。
その時に痛感したのは、求人広告時代にある程度の実績が出せていたのは、会社として長年かけて業績を上げやすい仕組み作ってくれていたおかげなのだということ。
その当時は、売上ゼロのストレスで、肌に湿疹ができたり、寝ていて金縛りにもあったりしたことも何度もありましたね(笑)。
タクシードライバーって・・・
そんな時期に、ふと、うちに登録してくれている求職者の属性や年齢を考えた時、タクシードライバーという職はどうだろうと思いました。求人広告時代からお付き合いのあるタクシー会社も何社かあったので、営業職希望の50代の人にタクシーも紹介してみることにしました。
そうすると営業職でも内定をもらえているにも関わらず、タクシーを選び転職されました。
そうこうしていたら、ちょうど現役のタクシードライバーをやっている人から登録がありました。
タクシードライバーって、一般的には「仕事がキツイ」「長時間・不規則」であったり、「低賃金」というイメージを持たれやすいんじゃないかと思います。
私も実際そう思っていました。
「不景気ですね~」とインタビューに応えるタクシードライバーのニュース映像をよく目にしていたからかもしれません。
だからこの方が面談にいらっしゃったときも、心のなかで「他業種へ転職したいのかな」と勝手に思っていたんです。
ところが面談が始まると、自分のイメージが間違っていたということがわかりました。
その方は鎌倉でタクシードライバーをされていたのですが、年収500万円以上稼がれていて、東京ならもっと稼げると思い、同じくタクシードライバーしたいというご希望でした。
すごく楽しそうに仕事の話をされていて、思ったよりも全然高収入。
その方も、無事に東京のタクシー会社に転職が決まりました。
ここが勝負どころ
もしかしてタクシー業界に可能性があるかもと思い、改めて、タクシーの仕事について先入観を捨てて徹底的に調べてみました。
この業界に特化した大手同業他社の存在はありません。チャンスだと思いましたが、逆に不安も感じ、ここまで一緒にやってきた木村くんに、この可能性を相談しました。
どこかの居酒屋だったかと思います。
「思い切って他の業界は全部捨てて、タクシーに絞ってやってみるのはどう思う?」
そう話すと、
「そうしましょう!」
力強く答えてくれました。
この時、彼が本気で答えてくれなかったら、そもそもタクシー業界への特化はなかったんじゃないかと思います。
ここが勝負どころでしたね。
そこから二人でタクシー業界に特化した人材紹介を始めました。
自社でサイトP-CHAN TAXIをつくることにしてから、今までのことが嘘のように少しずつ決まるようになりました。
登録者もだんだん増えてきたころ、このサイトに求人広告のコンテンツを作ることになりました。
タクシードライバーの勤務形態ってなかなか特殊で、一般的な求人媒体の表記では訴求しづらいなと感じていたんです。そこで、ただ型にはまった内容を掲載するのではなく、ドライバーの働き方や、暮らし、近くの飲食店など、細かく取材して記事にしたんです。
それが全国のタクシー会社から好評で、多くの問い合わせを頂きました。
あのときの「0」の恐怖があるから
SEO対策も予算がかけられなかったので、自分でコンテンツマーケティングの勉強したり、SEO業者からも吸収しました。今回のコロナ禍で、当然のことながらタクシー業界・求人も大きな打撃を受けていたので、売上が下がりましたが、SEO対策のついでに始めたアフィリエイト広告からの売上がカバーしてくれて非常に助けになりました。
タクシー業界に絞った時も最近はじめたアフィリエイト広告も、思えばもともとは狙っていないところで結果がでてきているので、幸運に恵まれてるなと思います。
今回は感染症でしたが、今後も波は必ずあるものです。何が起こっても安定した収益をあげられるような土台・社員が活躍できる仕組みをつくろうと動いています。
なんでもやってみようという行動の大元には、あのときの「0の恐怖」があります。あの時の恐怖や不安は、もう部下たちには味わってもらいたくないなと。
今こうやって挑戦を続けられているのは、売上が「0」でも何も文句を言わず信じて任せてくれた石崎さん、関口さんをはじめ、PRD全社員が業績を上げ続けてくれたから継続できていると本当に感謝しています。
次回は・・・
バトンですが、お互い中途入社で同期の前山副社長にお渡しします。入社したばかりのころは前会社が入っていたビルの奥まった暗いスペースで一人で仕事されていたのに、あっという間に出世されて(笑)。顔を合わせる度に「同期飲みしましょう」って言いながら実現していませんが、コロナ禍が落ち着いたら、実現したいですね。