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DACグループ思い出リレー #20 新井克洋 編〈前編〉

前回の福澤さんからバトンを受けたのはデイリー・インフォメーション中部社長の新井克洋さんです。2回にわたってお届けします。


え?このビル?選ぶか選ばないか—。

私が入社したのは1990年3月のことでした。
アルバイト雑誌に出ていた求人広告に応募して、面接に行ったのはその2ヶ月前の1月だったと思います。
広告に書いてある住所に着いて、あまりにビルが老朽化しているので驚きました。廊下で様子を伺って、場合によっては、すっぽかして帰ろうと思い乗ったエレベーターのドアが開いた瞬間、応接ソファに座る石川代表と目があいました。
廊下などなく、エレベーターから降りてすぐのところに執務スペースがあったのです。
「いつから来れますか?」
自己紹介して、着ているスーツを褒められたあとの最初の質問がそれでした。
あまりの速さに返答に躊躇しているときに、かけられた一言。
未だに鮮明に覚えています。

「こちらも選ぶ立場だけど、君も選ぶ立場だ。当社を選ぶのか、選ばないのかはっきりすれば良い。」
 
それから30年あまり、DACを選び続けているんだなあと、振り返ったりします。
 
同期は全く同じ日に入社したのが確か32人。
2週間余りで半減し、今では私一人。
唯一同期と呼べるのが、少し後に中途で入社してきたDACホールディングスの逸見さんだけ。
今ではめっきり話す機会も減ってしまいましたが、心の奥底で繋がっている大切な存在です。

自分たちの手で引越し

入社して、2か月後に御徒町にあったイワモトマシンワークスビルというビルに引っ越します。
今度は、廊下もあり、ビルの一階にはヘアサロン、地下一階にはフィットネスジム、地下2階にはスキューバダイビングのレッスンもできるプール。7階にはまるで秘密の小部屋のような社長室がある新築のビルでした。
引っ越しも、レンタカーの2トントラックを借りて来て、できることは自分たちの手でやるのが当たり前。段階的に引っ越しをしていきました。
今では考えられない感覚ですね。
たまたま、引っ越し先発組に選ばれて、新築の匂いのする、机すら運びきれていない広々としたフロアで、たった3人だけで営業したことは良い思い出です。
休み時間や就業後にゴムボールとビニール傘のバットで野球ができました。
 
数年後には、チームリーダーを任せていただけるようになり、現在は名古屋で一緒に働いている飯田部長が入社してきます。
めでたく飯田さんが新人賞を獲得したとき、私と飯田さんに加えて、今関西で仕事をしている新藤さん、今はDACを卒業したチームメンバーの4人でお祝いの会も7階の社長室でやったり・・・
 
今となっては時効だと思うので白状します。
戸棚にしまってあった高そうなウイスキーをわざわざ出してきて飲んでしまったのは、私と新藤と飯田です。

求人広告から総合広告への転向

TVCMをやりたくて広告代理店のドアをノックしたはずが、結局10年もスポーツ新聞の求人広告をやることになりました。
今考えると、よく辞めなかったなあと思いますが、「やりたいことをやれない」的な想いを凌駕してあまりある楽しくて良い人たちに恵まれたと思います。
ある時、ふとしたきっかけから、総合広告をやるチャンスにめぐり合い、CMに向け1歩を踏み出すことになりました。
企画のロジックを考えたり、タレントさんや芸人さん、プロ野球選手、変わったところではプロレスラーやミス日本を企画に起用したりしました。
阪神タイガース公認アイドルグループをオーディションから始めてデビューさせるという企画もやったことがあります・・・
仕事のベクトルはすっかり変わり、寝食を忘れるほど楽しみましたが、とうとうTVCMまではたどり着けませんでした。
総合広告に転向しても、後発であることがネックだったり、取扱媒体のメディアパワー不足だったり・・・。良い返事をいただける案件は審査ギリギリで、しょっちゅう媒体社の審査担当者に呼び出されたり苦労が絶えませんでしたが、毎日が新鮮な驚きの連続で楽しかったですね。
 
キャリア形成の面ではチームリーダーからグループリーダーと、ミドルマネージャーの勉強や、1年間媒体部兼代理店部をやらせていただいたり、この時期にとても濃い経験させていただいたことが今に活きています。

幻の皆既日食、シュールな旅行—。とても思い出深い濃い一年

ミドルマネージャーとして最後の一年は、遊びまくりましたね。
みんな偉くなったので気安くあだ名や、呼び捨てできませんが
 福西杏奈さん
 神谷美香さん
 和田文吾くん
 三浦優介くん
 藤井量平くん
他にもDACを卒業されていますが、オールスターメンバーが新井グループに集っていました。
みんなで喜び、悩み、駆け抜けた一年でした。
当時、グループとして4か月連続達成すると、グループのメンバー全員を対象に休日1日と、1万円の賞金が支給され、報奨旅行に堂々といけるという文化があり、それをフル活用していました。
 
ある時は皆既日食をみんなで見ようというテーマで、最もきれいに見えるだろうと予測された伊豆に前日入りし、海鮮BBQ したり、釣りしたり、ハシビロコウを見に行って、「本当に動かないんだね」なんて言いながら満を持して迎えた日食当日—。
伊豆は天候不良・・・。
結局テレビで他のエリアの日食中継を見てて爆笑したのも良い思い出です。

結局テレビでみた日食

 また、「今度は離島に行きたいね~」なんて話しながら4か月連続達成を果たし、予約したのは「八丈島」。 

その時はオフシーズン。閑散とした八丈島で、特に遊べる施設もありません。南の島ということで白い砂、青い海を想像していましたが、砂浜は火山からできた島ということもあり黒く・・・。そんな海で一日ちゃぷちゃぷするだけの旅行は本当に「シュール」でした。
 
そうやって駆け抜けた一年の最後、優秀社員表彰式(通称ファイナルステージ)に向けグループメンバー全員が私を表彰台にあげようと力を尽くしてくれました。
目標に対し全員が当事者感覚全開で本当に頑張ってくれて、エクセルで作っていた見込みリストが、増行に増行を重ねて、最終日11月30日には今まで見たことが無い量になっていました。
思わず朝のMTGで、「もう充分だ。これ以上頑張らなくていいから。」と、マネージャーとしてはあるまじき発言すらしてしまいました。
 
結局、今でいうプレーイングマネージャー賞の目標に対し、達成率98.6%。
わずか1.4%・・・。
1.5%でなく、1.4%足らずで表彰への希望は潰えました。
 
みんなの頑張りに応えることが出来ずマネージャーとして無念のひとことですが、特にこの期間は、良い結果はもとより、悪い結果や、苦労、努力すら楽しめる充実した記憶が強く残っていて、今の私の原点といっても過言ではないのではないかと思います。
 
翌年から、グループではなく、営業部全体をマネジメントする立場にステップアップさせていただいたのですが、新井グループとしての一年間は、本当にとても良い経験でした。


前編はここまで。後編は新井さんが社長になった際のエピソードも。
お楽しみに!

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