見出し画像

DACグループ思い出リレー #27 逸見昌子編〈第二章〉

社長秘書に

長年秘書も務めているので、石川社長の話もしないといけませんね。
入社して7年間営業をやって、44歳のときに総務になりました。
その頃は、領収書も手書きで汚くて、整理もできていなかったので、ちゃんとした総務が必要だと思っていたんです。社長に総務に移らせてほしいと申し出たら、「秘書もやるなら」ということで、OKをもらいました。

本当にとんでもない話がいっぱいあります(笑)。
最初に石川社長に会ったのは、入社してしばらくたった頃の食事会でした。
社長の隣の席だったのですが、いきなり
「どうだ?俺の印象は」と聞いてきたのです。
私は、男の人の横暴だったり抑圧的な雰囲気が苦手だったので、
「申し訳ないですけど、社長みたいなタイプは大嫌いです。」と答えたのを覚えています。
それ以来、ずっとその話は言われ続けています(笑)。

社長のとんでもない話

ある時、役員会があって、その前に社長が私に白い封筒を差し出して、「逸見、ここに名前を書け」って言うんです。特に中身を確認せず名前を書きました。
そうしたら、その役員会が終わった後、会議室から出てきた方々に「どうしちゃったんだよ、逸見さん」って口々に言われて・・・。
何事かと思っていると、なんと、その白い封筒は辞表だったんです。
そこにはこんなことが書かれていました。
「斉藤幸裕さん(今はお亡くなりになった当時所長を務めてらっしゃった)にいじめられているので、会社を辞めさせていただきます」
びっくりですよね。
確かに斉藤さんは厳しく、横暴だという声がいろんなところから上がっていました。
そんなこともあって、石川社長は斉藤さんに変わってほしくて、こういう形で灸を据えたんだと思います。
斉藤さんや会社のことを思ってとは言え、勝手に人の名前を使うなんてひどいですよね!
私もすぐに真相を言えばよかったんですけど、社長のやったことだし、なんか言えなくて、その後しばらく口も聞いてもらえなくなりました。

でも実は毎日飲みに連れていかれるのがちょっとしんどかったので、これで毎日いかなくていいんだって思うとちょっと嬉しくなったのを覚えています(笑)。
しばらく後に真相がわかったあと、斉藤さんからはなんですぐ言わなかったんだよって怒られました。

斉藤さんと逸見さん

まさかの社長命令

またある時は、社員のお父様が亡くなられて、石川社長と斉藤さんがお葬式に参列されることになったんです。ご実家が新潟県の佐渡島の方で、飛行機でいくことになったんですけど、空港に着くとその時間に間に合わなさそうだったんです。
そうしたら事務所に電話がかかってきて、
「逸見、飛行機を止めろ!」
って言われたんです。
「爆弾仕掛けたって言え」って…。
無理に決まってるじゃないですか(笑)。
もちろん、そんなことしていませんし、できません。
結局斉藤さんが飛行機の前に行って止めたらしいんですけど、嘘みたいな話ですよね。
とんでもないです。

本当にこんなことが日常茶飯事だったんですよね。
私も年がら年中怒られていました。
社長のことは尊敬していますし、この人のもとで働きたいと思っていますが、何度もいいますが(笑)、苦手なタイプでした。
でも、初めて石川社長のお父様とお会いしたときに、
「息子がいつも迷惑をかけて申し訳ありません」って頭を下げられたんですね。
とても謙虚で素晴らしい人柄で、このお父様の息子なら社長も良い人なのかもしれないって思ったのを覚えています(笑)。
また、今は亡き稠子奥様が癌を患われて、手術をされるってなったときに、社長の涙をみて、社長も人間なんだなって、当たり前なんですけど実感しました。

稠子奥様との思い出もたくさんあります。
ずいぶん昔のことですが、PRDの引越しがあったとき、お金がなくて、自分たちで事務所の引越しをしたんです。デスクもすべて、エレベーターに載せておろして、夜通し運んだことがありました。そしたら稠子さんが明朝におにぎりを100個くらい握ってきてくれて、「お疲れさま」ってねぎらってくれて、こんなことまでしてくれるんだと思ったのが最初の印象です。

たくさんの社員の皆さんとの思い出

他の方の思い出リレーでも何度か出していただいていますが、これまでたくさんの社員と腹を割って話してきました。
石崎さんがやめるかもという話になったときもたくさん話しましたし、岸さんが辞めるって言い出したときにも名古屋にいきました。「福井さんが裏で動いていたんだと思います」と言われたことは合っています(笑)。

その福井さんが名古屋に行く時も色々ありました。
二人目のお子さんが奥さんのお腹にいるときで、「二人の子どもをおいて単身赴任でいくのは…」といわれて、「ふざけんな!何弱音吐いてんだ!」って二人で胸ぐらを掴み合って喧嘩して、泣きながら帰ったことがあります。(ただの酔っ払いですね)

今は営業本部長もされている浜田さんも、実はDACを辞めるという話になったこともあります。ちょうど石川社長が北極か南極にいかれる直前の話だったと思います。
もう社長が明日立つというときでした。
浜田さんと一緒に焼肉を食べにいきました。
社長には感謝しているという話をされていて、それでもそのまま顔をあわさず、辞めていこうとしている姿をみて、
「感謝していると言いながら、なんで何も言わないまま辞めようとしているんだ!もう好きにすれば」って言ったんです。浜田さんはその足で我孫子にある社長の自宅まで行ったようで、そこで稠子奥様と話して、辞めるのを思いとどまったということでした。

みんな偉くなってしまいましたが、皆さんの大事な場面に関わらせていただいてきました。

若い頃は、「なんでわかってくれないの!」という気持ちが強くて、感情的になりがちでした。いろんな経験をして、今は相手の気持ちをわかろうとしてさえいれば伝わるんだろうなと思うようになりました。

これまで、本当に大変なことはいっぱいあったけど、私も人とのふれあいで自分を変えることができました。愛情を持って接するというのは人を変えることもできるんだと思います。


今回はここまで。なんだか、とんでもない話がでてきましたね・・・。本当の話なんでしょうか。
次回はセブンサミッツ挑戦に関するお話です。お楽しみに!

この記事が参加している募集

オープン社内報

社員紹介

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!