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DACグループ思い出リレー #22 湯田浩通 編〈前編〉
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DACグループ思い出リレー #22 湯田浩通 編〈前編〉

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前回の新井社長からバトンを受けたのはDACホールディングスの湯田浩通さんです。2回にわたってお届けします。


私がDACグループに入社したのは38年前のことです。
DACグループでは石川代表についで2番目の古株となります。
石川代表は私が入社したとき、社長に就任されて7〜8年目、35歳くらいだったと思います。その時はとにかく怖くて。
前回の新井社長もおっしゃっていましたが、オフィスは30人入ればキツイような、冷房・暖房も効かない雑居ビルの一室でした。FAXもなく、コピー機は1台(もちろん複合機ではありません)、パソコンは当然なく、今の若い人はわからないかもしれませんが、私が入社した年は電話もダイヤル式の黒電話でした。

黒電話。今ではレトロでなんか可愛く感じますね。

今では考えられませんが、営業時間中も自席でタバコを吸えるような環境で、「契約をとれたら一服」という習慣の人が多くいました。私はタバコは吸わなかったので、煙がきつかったのですが、今となってはあの雰囲気が懐かしいような気もします。

黒電話をブラインドタッチ

私も営業部として入社して、デイリースポーツ新聞の「案内広告」の営業をしていました。
パソコンもなく、メールもない時代なので、デスクの上にあるのは電話と「ネタ帳」と当たりをつける当たり帳くらい。黒電話(入社して2〜3年目にプッシュフォンになりましたが)を片手に仕事をしていました。
石川代表も今でこそ温厚ですが、当時は(鬼のように)怖く、「1日300本電話を回せ!」と檄を飛ばされ、受話器を置く暇がないほど電話をかけていたおかげで、お客さん先の電話番号を見なくても「ブラインドタッチ」ができるほどでした。
時代的にも残業の多い会社が多く、電話をかけるのも6〜7時くらいからが本番。
みんなその時間になると机の下に潜るんですよ。
どうしてかと言えば、周りが煩くて電話が聞こえないから。
もちろんそれだけ電話をかければここでは言えないような罵声を浴びせられることもよくありました。
あとは自分が当たりをつけた会社は他のみんなも当たりをつけていたりするので、取った取られたで何度苦渋をなめたことか・・・。
みんなバチバチでしたね。
それでも8時に仕事を終えて、そこから「1時間だけ飲みにいくか」といってみんなで飲みにいくことも多かったです。1時間で終わることはもちろんなかったですが(笑)。

原稿のやりとりは今では想像もつかないでしょうが、「電送」と言って電話でしていました。
媒体社の担当者さんに電話して
「タイトルは〜、一行目は〜、改行して〜」
といったように電話で原稿を伝えていたんです。そんな感じだから誤植ももちろん出てしまいます。朝、新聞が届いてから発見なんていうこともあり、青ざめたこともありますね。

月末日は「集金の日」でした。
当時は振り込みもなく、お客様のところに集金に行っていました。
月末はお客さんのところに集金にいって、また契約をとって帰ってくるというのがルーティンでした。
午前中に埼玉にいって、午後から神奈川・・・みたいなこともあり、一日中飛び回っていましたね。おかげで交通機関には詳しくなりました。

石川社長から社員への感謝のかたち

時代を感じますね。創立25周年の台湾旅行。社長と湯田さんはどこでしょう?稠子奥様もいます!

DACグループは今年で創立60周年ですが、周年旅行というのは昔からやっていて、私が初めて海外にいったのもそれでした。創立25周年、その当時の社員みんなで台湾にいきました。福澤さんのお話にもありましたが、ほんとうに皆さん色々すごい方々で・・・
「すごい」というのは、海外なのに、サンダルでいったり、夜も帰ってこなかったり・・・。そういう意味です(笑)。
その旅行で、円卓でみんなで食事していたときに、石川社長が功労者に一人ひとり感謝を述べていたのは忘れられません。今も昔もそういうことを大事にされていて、DACの伝統とも言える周年旅行も、代表から社員への感謝のあらわれなんですよね。
入社して2年目か3年目のころには、優秀社員の規程をクリアして社長と一緒に旅行に行きました。行先を決めずに出発し、「大島に行こう」という話になったのですが、ちょうど船が出てしまったあとで、結局、箱根に行って一泊しました。一緒に温泉に入り、社長の背中を流したことが印象に残っています。
今思えば、社長はその頃からぶれずに、やってらっしゃることは変わらないなと感じています。

不正に地震・・・まさかの出来事

その後、とてもショッキングな出来事が起こりました。
上司だった人の不正です。
以前の事務所「イワモトビル」に引越して1年後くらいのことです。社員みんなが信頼していた人で、本当にショックで、全員やる気をなくしていました。だけど一番ショックだったのは社長だったと思います。今まで38年働いてきて色々ありましたが、そのときが一番この会社大丈夫だろうかと思った出来事でした。

変わらず営業活動を続けるなかで起こったのが「阪神淡路大震災」です。
こちらも同じく衝撃的な出来事でした。
1995年の1月7日の早朝、5時46分にマグニチュード7.3、震度7の大きな地震が発生しました。朝起きてテレビのニュースで知りました。会社にいくと大騒ぎになっていました。
「デイリースポーツが入っていた神戸新聞会館は壊滅状態で明日のデイリースポーツが発刊されるかどうかもわからない」そんな情報が入ってきました。
その日は、とにかく仕事どころではなかったのですが、夜になって、新聞が出るという通達がありました。次の日の新聞のページ数はとにかく薄かったのですが、案内広告も載せてくれていました。震災と同時に新聞が出るか出ないかわからないということに大きなショックを受けましたが、「新聞が途切れずに発刊された」ということに感動もしましたね。


前編はここまで。後編は、湯田さんがまさかの転職をしたり、勤続30年表彰の感動秘話などについてです。ご期待ください!

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