見出し画像

DACグループ思い出リレー #13 前山 敏行 編〈前編〉

前回、ピーアール・デイリー 取締役部長の横山達司さんからバトンを受け取ったのはDACホールディングス副社長の前山敏行さんです。今回は3回にわたってお届けします!

入社を決めた理由

私がDACグループに入社したのは2004年のことでした。
入社前は一部上場会社で働いていたのですが、会社の「歯車」のような気がして、それが嫌で転職することに。
転職活動のなかでDACグループと出会い、石川社長から、六本木にあったベルファーレで社内イベントをやるからどうぞと招待いただきました。
その時は入社するつもりなど全くなく、他の会社にも内定をもらっていて、半分冷やかしのつもりで会場を訪れました。入口で社員がギターを弾いていたのが印象的で、とてもびっくりしたのを覚えています。ロックンロールイベントで会場は大盛り上がり、社員がみんなとても楽しそうで、思わず私もそばにあったカツラをかぶって踊ってしまうほど楽しみました(笑)。

ベルファーレイベント
誘われて訪れたベルファーレでのイベント

イベントの最後、石川社長が社員に胴上げされている姿を見て、社員からそんなふうに慕われる社長は全国探しても無いだろうなと思い、入社する気持ちに傾きました。

最後に背中を押したのは、今は亡き社長の奥様・稠子さんの一言でした。

「前山さん、力を貸してください。1月は前山さんのお誕生日でしょ?一緒にお祝いしましょう。」

まだ入社するとも言っていない私の誕生日を覚えてくださっているんだと感動しました。この一言が決め手になり、DACグループへ入社したのです。

ちょうどDACグループが上場を目指し社内整備をスタートした時でした。前職で関連したことをやっていたので、上場のための準備やとりまとめを期待されていました。

意気揚々と取り掛かろうとしたのですが、蓋を開けてみると資金調達の部分や売り上げの管理システムなどがぐちゃぐちゃでパンドラの箱を開けてしまったような感覚に襲われました(笑)。

まずは庶務的なところから初めて、石川社長の娘さんである泉さんや総務のメンバー・会計は今NIKIの経理をしてくださっている吉澤さんと少しずつ整えていきました。前回登場した横山くんとはちょうど同時期の入社だったので、よく二人で声かけあってましたね。「大変な会社に入っちゃったな」って(笑)。

当時から報奨として社員の海外旅行をよく実施していました。全然お金がない状態で、儲かる前提で旅行にいったり、けっこうむちゃくちゃでしたね。ただ、勢いやエネルギーはすごくあって、成長の余力を非常に感じていました。その頃はまだ東北と北海道くらいにしか地方拠点がなかったのですが、そこから中部、関西、九州とどんどん全国展開をし、会社の成長を実感していました。

石川社長の経営判断

そんな成長の最中、リーマンショックが起こりました。
企業から人材募集が一切出なくなり、ピーアール・デイリー(PRD)の業績を圧迫しました。

石川社長の決断は早く、的確でした。

人材を取り扱うPRDから、好調だった観光広告を取り扱うデイリー・インフォメーション(DIN)に社員の希望を聞いて配置転換を行いました。

私自身はそこまで長期化するとは思っておらず、もう少ししたら回復してなんとかなるだろうと思っていたので、その決断の速さには驚きました。

しかしながら影響は長期化し、社長の経営判断は正しかったと分かりました。自分はどこか「仕方ない」と環境のせいにしてしまっていたんだと気付かされ、非常に勉強になりました。

環境整備は経営指針。TIXTOWERへの引っ越し。

東京の事務所が現在のTIXTOWERに移ったのは東日本大震災の直前、2011年2月でした。
以前のビルは御徒町にあり、トイレや空調がよく故障するなど老朽化していたことや、社員数も増えてきたことから引っ越しをすることになりました。

事務所
以前の事務所
移転説明会
御徒町のビルでの移転説明会

引越し先を探す際、色々と候補はあったのですが、お世話になった上野という地を離れたくないという石川社長の思いがあり、新しくできたTIXTOWERに白羽の矢が立ちました。

家賃は、坪単価で言えば3倍くらいになるので、大きな決断でした。

その決断は、DACイズムでも謳われていますが「環境整備」に重点を置き、社員の働く環境を良くすることが大切だという石川社長の経営指針に基づくものでした。

社長自らレイアウトを考え、一緒になって設計をしたのですが、何しろ事務所が広くなることもあり、すごく時間がかかりました。

「この席には●●が座るから、この絵をかけよう」

そんな細かいところまで社長自ら考え、植木鉢や絵を一晩中置いて回ったことが印象深いですね。

引っ越しして1ヶ月ちょっと後に東日本大震災が起こりました。

あのとき引っ越ししていなければ、老朽化したビルで被災し、社員がケガをしたり、もっと影響が大きかったのではと思います。実際にそのビルは震災をきっかけにその後取り壊しとなり、今はもうありません。

ただ、その場所を通るたびに色々と思い出しますね。


前編はここまで。中編はセブンサミッツプロジェクトについてです。
こうご期待ください!


この記事が参加している募集