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DACグループ思い出リレー #17 福澤和夫 編〈前編〉

前回の中西さんからバトンを受けたのはDACホールディングス執行役員の福澤和夫さんです。今回は本当に濃いお話が聞けました。3回にわたってお届けします。


入社当時・・・距離の近さにびっくり

私が入社したのは1994年だったので、入社して28年が経ちました。

残念ながら同期はもう残っていません。

何度か話に出ていますが、御徒町にあった岩本ビルというオフィスで、当時は人数も少なく、DACグループ全員でも80人もいなかったと思います。

新卒で入った会社を2ヶ月くらいで退社して、デイリー・インフォメーション(DIN)に入社しました。前の会社では人間関係が希薄で、社員間のコミュニケーションがほとんどなかったので、この距離の近さにとにかく驚きました。契約が取れたらみんなが喜んでくれて本当に新鮮でしたね。

人間関係はとてもよくて、営業という仕事はキツイことも多かったですが、そういうところには本当に救われました。

スノーボードで・・・社長骨折事件!

1999年当時の写真

社長とも距離が近くて、研修もすべて社長が講師となり、軽井沢の研修所で行われていました。3泊4日の研修のうち丸一日はレクリエーションに当てられていました。

私はちょうどその頃、スノーボードにハマっていて、デイリースポーツ案内広告社(DAN)の浜田さんとよく滑りにいっていました。

そんな折、浜田さんと一緒に研修を受けることになり、「社長にスノーボードをやってもらおう!」と、そのレクリエーションで社長も一緒にスノーボードをすることになりました。

その結果、社長が骨折・・・

(「エアーを失敗した」とおっしゃっていますが、実はリフトから降りる時に転んで骨折したということはここだけの秘密です)

稠子奥様にも「もう誘わないで」と言われましたが、社長がキリマンジャロに登る予定があり、「そこからスノボで降りたい」と言い出したので、その後も何回かご一緒しました。

(キリマンジャロには登られましたが、ちゃんと安全に足で下りてこられました)

社長自らコミュニケーションの機会を作ってくれていたんだと思います。

仕事も遊びも本気で!

「仕事も遊びも本気でやる」といった考え方は昔から今もDACにあると思います。

イベントもとにかく多くて。

飲み会や忘年旅行、大運動会・・・

今ではイベントはずいぶん減って、あっても業務時間内でやることがほとんどですが、休日に実施することが多くありました。休日が潰れるのはきつかったけど、私はすごく楽しかったですね。それが嫌でやめていく人もいましたが、一体感はとてもありました。

イベントの準備でも体育祭の準備をしているような感覚で、会社というより学校みたいでしたね。思い出リレーに以前登場した福井さんがいたずら好きで、日常でも、よく変なことをして、みんなで笑ってました。

どうでも良いような嘘を大真面目な顔して言うのが面白くて(笑)。

仕事は厳しく数字を追っていたけど、そういう「ゆとり」みたいなものはありました。

最近入社式がありましたけど、入社式も社員総会(今の優秀社員表彰式:ファイナルステージ)も事務所で今とは比べ物にならない小さな規模でやっていました。

社長は当時から「いつかはDACもホテルのホールを借りてやるぞ!」と話されていて、私たちは「また大きな風呂敷を広げて・・・」と思っていましたが、今ではそれが当然のことになって、成長したなと感じます。

スーツ姿で海の家に・・・

仕事の規模や扱うものも大きく変わりました。

DANは今でこそ、CMだったり、企業の総合的なプロモーションをおこなったり、総合広告代理店として華やかなイメージもありますが、当時はまったくでした。

「案内広告」って若い人はなかなか耳にしないかもしれませんが、スポーツ新聞に載っている小さな枠の求人広告などのことです。

その枠を売る代理店だから“デイリースポーツ案内広告社”なんですね。

昔の事務所は正直、カタギとは思えないおじさんばかり・・・。そして今では考えられないですが、ちょっと今では絶対審査が通らないような会社から契約を取ってきていました。
だから本当に入金してもらうまでが大変。
集金にいくと帰って来れなくなるという噂も。
もちろん今はそんなことは全くありません。社長が随分前にそういうものは取り扱わないという判断をして、それ以降はコンプライアンスが遵守されています。

理由は違いますが集金が大変だったのは観光広告も同じでした。

その当時、ペンションや民宿のお客さんが多く、スキー関連の民宿などは雪が降らないと代金を払ってもらえない、なんてこともありました。

伊豆の民宿に集金にいったときのことです。そこは海の家もお持ちで、伺うと「今海の家にいるから」と言われ、そちらに行くことに。海水浴客で賑わう海の家にスーツに革靴で集金にいき、お客さんがひくまで長時間待ったこともあります。

それでも海外研修はやる!

そういうこともあって、会社の資金繰りも大変だったようです。
給料の支払いが遅れたことはなかったですが、交通費の精算なんかはなかなかしてもらえなかったのを覚えています。

それでも海外研修などは当時からおこなっていました。

お金の使い所がよくわからないですよね。楽しかったし、いい思い出ですが。

学生のころは海外に行ったことがなかったけど、DACに入社して3年目くらいからは毎年のように海外にいっていました。

いつだったかサイパンにいったとき、みんな(社長含む)で「ふんどし」で写真を撮ったことがあったのですが、ビーチの監視員に「Tバック、ノー!!!」って怒られたことがありました(笑)。いまもどこかに写真あるんじゃないかな・・・


前編はここまで。次回中編は北海道事務所の設立の際のお話となります。
お楽しみに!

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