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DACグループ思い出リレー #26 逸見昌子編〈第一章〉

前回の新藤さんからバトンを受け取ったのはDACホールディングス メンタルヘルスカウンセラー室の逸見昌子さんです。今回は長編となります!4回にわたってお届けします。


入社!看板を作る仕事じゃなかった・・・

私が入社したのは1990年の4月13日のことです。
直前の4月1日に、以前登場された新井さんが入社されていましたので、今残っている唯一の同期だと言えますね。
私たちよりも社歴が長いのは、社長と湯田さんだけになります。

ピーアール・デイリー(PRD)の関連会社だったレディースインフォメーションに入社したのが36歳のときでした。短大を卒業してすぐに結婚、子育てをしながら家業の銭湯の経営を手伝っていました。
ですので、「会社」に就職したのは初めて。
「ウェイクアップ」という求人雑誌で見開きで「お母さん頑張って!」というキャッチコピーに惹かれたのと、「見開きで広告をだしているんだから立派な会社なんだろう」と連絡しました。
その頃、私の中では「広告=看板」だったので、看板をつくる仕事だと思い込んでいたので、「書くことも好きだし、それで手に職をつけられるなんて良いな」と思っていました。

面接では1時間くらいお話ししたものの、緊張していたのと専門用語が多く、正直内容は全然入ってきませんでした。最後に「いつから来れますか?」と言われたのはよく覚えていて、「じゃあ明日から」ということで私のDAC人生が始まりました。

PRDの正社員に

そういうわけで、まったく業務内容を知らず入社してしまい、初日に当時の上司が取材にいくのに同行して、初めてそこで求人の営業だとわかったわけです。
すぐに自分には向いてないし、やめようと思ったのですが、その帰りにごちそうしてもらって、なんとなくその分は返さないとと思ってしまっているうちに、交通費や給料ももらってしまって、何もできていないことが負い目に感じてしまい・・・。
辞められないままなんとなく馴染んでしまったという感じでした。

当時あったレディースインフォメーションという会社は、21、22歳くらいのシングルマザーが多く、初めは年齢も違うし馴染めるかなと思っていたのですが、みんなすごく良い人たちで、すぐに仲良くなれました。
みんな幼い子どもがいるので、勤務時間は10時〜16時でアルバイトやパートというような勤務体系で、お給料も歩合制だったのですが、その子たちは正社員よりもお給料をもらっていて、「お母さんは強いな」と思っていたのを覚えています。
バブルが弾けたころ、レディース・インフォメーションはPRDに吸収合併されました。
そうなると、勤務時間の違いから、もともといたPRDの社員たちから不満が続出しました。「みんな頑張っているのによく帰れるよね」といったような愚痴がでたりして、ママさん社員はとても仕事がしづらい状況になってしまったんです。
それでほとんどのママさん社員は辞めていくことになってしまいました。
私はというと、そういうことを言われて悔しかったのもあって、「PRDの正社員にしてください」と訴え、そのまま働くことになりました。

同期とは

同じ時期に入社した社員は新井さんともう2人いて、年齢は全然違っていましたが本当によく飲みに行って、励ましあったりしていましたね。
ある時、本当に理不尽と思えることで当時の上司に叱られて、
「納得できません!」というと、「納得できないなら帰れ!」と言われて、本当に腹がたって帰ってしまったことがあったんです。
家に帰った後、同期から電話があり、飲みにいくことになりました。
その同期に、話を聞いてもらって、「もう仕事をやめる」という話をしていたとき、
「逸見はその上司のために仕事やってたんだ」って言われたんです。
「自分のため、同期のために頑張っているんじゃないの?そんな上司のために辞めてしまうんだ。それだったら辞めれば?」って。
確かに、そんなしょうもないことで辞めたくないなって思い、次の日その上司に「申し訳ありませんでした」って頭を下げたということがありました。
そんな同期も今では新井さん一人になってしまいました。

実は、こんなこというとあれですけど・・・。同期のなかでも新井さんは全然違う部署でもともとあまり交流がなかったんですよ。今だから言えますが、どちらかというと苦手な意識をもっていました(笑)。
ですので、あとの同期2人が会社を辞めるってなったとき、すごく悲しかったんです。
ただ、長い時間を経て、新井さんが中部の部署長に就任して、私が社員のメンタルカウンセラー室を作ったあと、社員の面談を通して色々と話せるようになりました。
勤続30年の表彰のとき、スピーチをしないといけなくて、舞台袖で緊張して「どうしよう」と言っていたら、「大丈夫だ、がんばれ!」って言ってくれて、とても心強く感じました。
近くにいてくれるだけで安心して、頑張れるという存在が同期なんだなと思います。
その後も、コロナ禍で会社の業績がどうなるか見通せないとき、もう定年を過ぎている私は会社をやめたほうがいいかもと社長と話していたことがありました。そんな話を聞きつけた新井さんが中部に誘ってくれたこともありました。新井さんって、表現は下手くそなんですけど、本当に情のある人なんですよね。
結局その話はなくなり、辞めずに今に至りますが、同期ってなんて素晴らしいんだろうと思った出来事でした。

30年の勤続表彰

今回はここまで。
次回は、社長との思い出です!とんでもない話、出てきます!
お楽しみに。

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