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DACグループ思い出リレー #35 本村春樹編〈後編〉

前編は入社までの紆余曲折や、本村さんがインバウンドにのめり込んでいったお話でした。後半は急に所長になった後、東日本大震災が起きて・・・。
いったいどうなったのでしょうか。


入社4ヶ月で所長になるも降格・・・

実は私、入社して12年ほどですが、入社から数年の短期間で2回の降格を経験しているんです。
所長になるということは、全部の営業活動や結果に対して責任を持つということです。
入社以来、約半年間、インバウンド関連の提案に力を入れてやってきましたが、そのほかのもの(観光の連合広告など)はやったこともないですし、どうしたらいいか分からず、大したマネジメントもできていませんでした。
もっと言うなら、1/12Pという枠を売っていることに衝撃を受けました。

そうこうしている間に2011年3月11日を迎えます。
東日本大震災です。
東北はもちろんのこと、日本中が売上どころではないような状態でした。
そんな中、九州も赤字を出します。
一番距離が離れていた九州に、社長も期待があったんだと思います。
「一番影響の薄い九州を赤字にしやがって!」
と降格・・・。それ以外の部分でも理由はあったんだと思います。
まだ所長には早かったという思いもお持ちだったのではないでしょうか。
一度現場に戻ることになりました。
そこで目標を定められて、達成しなければクビか東京への異動という話になりました。

目標はなんとか達成して、九州に残れることに。
ただ、自分としては、提案活動が楽しくて、所長に戻りたいという気持ちはありませんでした。

人の人生を何だと思ってるんだ!

その後、また色々とあって、所長に戻ったのですが、なんと初月に大赤字・・・。
当時の営業本部長が張り付きで3ヶ月くることに。
なんとか数字を戻して、所長を続けることになりました。
少し落ち着いたと思ったらまた大問題が勃発。
詳しくは言えませんが、部下の数字に関する虚偽報告が発覚したのです。
しかも多額の。
「責任をとって辞めます」
処理班として来ていた当時デイリー・インフォメーション中部の福井さんにそう伝えました。
そうすると、
「辞めさせるか!全部きれいにしてから辞めろ!」
と言われてしまいました。

私の次の所長にきれいにしてから引き継がせようという思いもあったんじゃないかなと思います。

そして、辞めることもできず2度目の降格・・・。

本当にこの会社、何なんだって思いましたね。
退職してやろうと思いました。

それと同時に見返してやるという気持ちも湧いてきました。

何より、この時辞めなかったのは、当時の2年目・3年目のメンバー達が全てです。
3年目にして営業部を引っ張っていた中村さんや、DIN九州の未来を毎晩語り合っていた2年目の伊地知さん・荒井君などの存在と言葉が、何よりの支えとなりました。
その気持ちに応えたいなと思いました。

福井さんとの対立と和解

次の所長として、デイリー・インフォメーション中部から岸さんが赴任されたのですが、数年で退任することになりました。
その後任として福井さんが九州の所長に就任されました。
そのころ、前の部所長を退任に追いやったのが私というような話が出ていました。
もちろん、そんなことはなく誤解だったのですが・・・。
福井さんは、その誤解もあって九州の膿を全部だしてやるというような気持ちを持たれていたのではないでしょうか。

そのスタートは敵対するような関係からでした。
でも陰で何か言い合うような感じではなく、お互いに一歩も引かずに話し合いました。
いつだったか当時の専務で今は顧問をされている工藤さんがいらっしゃったタイミングで、掴み合いの喧嘩になりそうになり、止めに入られたことがあるくらいです。(笑)
でもあるとき、飲みに誘われて、
「九州の課題も本村の課題も見えたけど、社員や広告に対する思いはよくわかった。現場は任せる。もう何も言わない」
と言っていただきました。
半年くらいかけて、お互い本音でぶつかりあったことで理解し合え、愛を育むことができました(笑)。
(ちなみに岸さんとも普通に仲は良いですよ!)

石川社長への思い

こんなことばかり書いていると、社長を恨んでいるのではと思われる方もいるかもしれません。でも実はそんなことは全くなく、むしろ今は感謝しかありません。
何度も叱責されたり、振り回されたり、その時は腹が立つ一点のみの思いでした。

でも今思えば、私は自分の考えに固執していることに気付けていなかったんです。
成果も出ていましたし、ありがたいことに部下も慕ってくれていたので、マネジメントができているって思い込んでいたんですよね。
実はまったくできていなかったのに・・・。
社長はそれが違うということを言いたかったんだと思います。

降格されたことで社員目線になれて成長できましたし、人生におけるキャリアの財産になったと今は思えます。

社長からは2〜3年前までは「九州のガン」とまで言われましたが(笑)、「ここ1年で本村に任せられるようになった」と言われます。

なんやかんやで10年も待ってくださったんだなと感謝しかありません。
同じく、正面からぶつかり続けて頂いた福井さんにも、とても感謝しています。

2019年のボジョレーの会

社員たちへの思い

結局のところ、どうしてこの会社に残っているかというかと言えば、DIN九州の社員への思いによるところが大きいです。
社員のみんながモチベーションの源泉になっています。
自分の評価よりも社員のみんなが「成長した」と周りから言われ、評価されることが何より嬉しい。もう、お父さんの気持ちでいます(笑)。
前述のように、実際に私を信じ、存在を必要としてくれていた中村、加納、尾倉、伊地知。
この4人が同じタイミングでいてくれたのが自分の全てです。

2015年ごろ
2014年ごろ。今はもう東京に戻っているメンバーもいてレアですね!
昨年のファイナルステージにて


次回は・・・

次にバトンを渡す方ですが、デイリースポーツ案内広告社の浜田さんにしたいと思います。
福井さんがDIN九州に赴任される直前に、私に異動(実際は引き受け先です)の話がありました。その時、手をあげてくださったのが浜田さんでした。とても感謝しています。
懐の深い方で、これまでどういう思いを持って仕事に臨んでこられたのか、今までの思いの軌跡を知りたいですね。

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