見出し画像

DACグループ思い出リレー #34 本村春樹編〈前編〉

前回、イースト・デイリーの佐藤忍さんからバトンを受けたのはデイリー・インフォメーション九州(DIN九州)の本村春樹さんです。佐藤さんが聞いてみたいという本村さんの人生観とは—


入社の紆余曲折

私がDIN九州に入社したのは2010年3月のことです。
入社前は紆余曲折がありました。
もともと医者になりたくて、その道を志していたのですが、大学受験で挫折。
特にやりたいことが見つからず、少しでも医療の道に携われたらと思い、大学では薬開発に繋がる化学を勉強していました。未練たらしいですよね、本当に。

でも、行動力No.1の私にとって、研究室は合いませんでした・・・。

卒業して新卒で入社したのはシステム開発会社。
当時は東京の恵比寿に勤めていましたが、エンドユーザーが見えない仕事に限界を感じ、3年ほどで退社。
(ついでに、東京砂漠を感じました・・・)

何がしたいか見えなくなっていた矢先、学生としてアメリカに住んでいる姉から、「こっちに来て大学の講義、受けてみたら?」と言われ、良い機会だと思い、そのつてで一年ほど向こうで暮らし、大学にもぐらせてもらいました。

そこでマクロ・ミクロ経済と出会い、消費者心理を捉える広告が面白いなと、広告業界に興味が湧きました。
アメリカから戻り、電通九州を目指したんですが、業界経験3年&4マス経験&32歳未満がエントリー条件であったため、一度、違う広告代理店に入りました。
色々な経験を経て、「そろそろ電通や大手を受けてみるか!」と行動し始めた矢先、父が急逝。

建設業界で自営業を営んでいた父の会社を引継ぎ、右も左も分からない会社経営が始まりました。
しかし、時代はリーマンショックの頃。
吹き荒れる建設不況により、銀行に家を取らせそうになりましたね、当時。人生で一番辛かったのはこの時です。

社員も6名いて、生活を守ってあげないとダメだし、ゼネコンは厳しい条件ばかり出してくるし・・・。

どう売上をあげて、会社の借金を返すか、本当に悩み過ぎて、蕁麻疹を発症しました。ちなみに、蕁麻疹は、今も仲良く付き合っています(笑)
ただ、前の代理店でお付き合いしていたお客様にも助けられ、何とか借金を返すメドが立ち、父から受け継いだ会社を畳む事にしました。
無事に解散出来た時、母が長年住む家を残せてあげられた事が、一番の財産ですね。

その間も月日は流れ32歳となり、希望していた電通九州へのエントリーは難しくなり・・・。
とりあえず、前の代理店で登録していた紹介会社と連絡を取り、総合広告代理店への道に戻る事を模索し始めました。
様々な紹介を受けましたが、WEBや業界(老人ホームなど)に特化した広告会社が多く、煮え切らない態度を取っていました。

当時、総合的に経営者の助けになるような仕事がしたくて、中小企業診断士の勉強もしていましたし、一業界とか一分野だけではない総合広告の仕事がしたいなと考えていたからです。
ただ、リーマンの影響もあり、なかなか総合広告ができる代理店ってなかったんですよね。
そんなとき、担当者さんがハローワークでDIN九州の求人を見つけてきたんです。
「これ受けてだめだったら紹介した会社を考えてください」と言われて受けることにしました。

面接

面接を受けにいってまずびっくりしたのが、合同面接だったことです。
石川社長と、今育休中の増本さん、当時東京から九州の所長として赴任していた妻木さんの3人が面接してくれました。私以外の方々が一生懸命質問に答えるなか、私は逆に聞きたいことばかり質問していました。
もともと自分で探してきた求人でもなかったので、どうしても受かりたいという気持ちもあまりなく(すみません)、どういう会社かを知ることのほうが大事だったからです。
社長から「君は取らない」ってその場で言われて、「不合格か。しょうがないな」と思って家に帰っていると「明日、二次面接に来てください」と増本さんから電話がありました。
「不合格って言われたんで」と伝えると、「とにかく来てください」と言うんです。
変な会社だなと思いながらも翌日会社を訪れました。

インバウンドに魅了され・・・

当時のDIN九州が入っていたビルは「博多天神ビル」。
福岡の人間からすると「どっちやねん!」と突っ込みたくなる名前であり、とてもイメージに残っていますね。
事務所に入り、石川社長からインバウンド事業の動画を見せられました。
これをやってもらいたいということでした。
まだまだ「インバウンド」という言葉も一般的ではなく、私自身全然知らない世界でした。
そこで色々調べてみると国策としても打ち出していこうという動きもあり、「これは面白い、未来がある」と感じやってみたいなと思いました。

ただ、入社するかどうかは少し迷っていて、返答を延ばしてもらっていたんです。
そうしたら社長から
「天秤にかけるやつはいらない」
と言われてしまって。

それでも入社できたのは妻木さんがずっと取りたいって言い続けてくれたからです。
妻木さんがいるから今DACで働いているんですよね。
そんなこんながあってDIN九州に入社することになりました。

インバウンド広告を他社にも先駆けてやっていたグローバル・デイリーの前身である「デイリー・インフォメーションインバウンド事業部」で、まずはしばらく学び、正社員になることを告げられました。そんなこんなで、再び東京砂漠で働き始める事になりました。
そこで、今はもう退社されてしまいましたが、中原さんのもとで色々学びました。

提案したくて・・・朝4時に目が覚める日々

実は最初に「正社員になれば九州に戻してやる」という条件をつけられていたのです。
ただ、九州でもやれるという感覚があったので、
「九州に返してください!」
と当時部長の中原さんに直訴し、一緒に石川社長のもとへ説得に行ってもらいました。
結果、予定よりも早く、1ヶ月で九州に戻れることになりました。
この時、石川社長に「本村なら福岡でやれます!僕が保障します!」と伝えてくださった中原さんには、本当に感謝です。

4月1日に戻ってきて、韓国に市場調査に行ったり準備を整えながら、5月から提案活動を始めました。
満を辞して始めたインバウンドの提案はめちゃくちゃ楽しかったです。
提案したくて朝4時に目が覚めるくらい(笑)。
始発で会社にいっていましたね。

この年の年間表彰式。本村さんはキャリア新人賞として表彰されました。

その後、妻木さんが東京に戻ることになり、所長に就任しました。
7月に正社員になって8月の話です。
石川社長に呼ばれて
「お前が所長だ」
って言われたんです。
正社員になったばかりですよ。びっくりしました。
中原さんが「本村ならやれます」と言ってくださったようです。

その半年後、未曾有の災害が日本を襲いました。


前半はここまで。後半は東日本大震災後のお話です。
この後も色々あります・・・!乞うご期待ください!

この記事が参加している募集

#オープン社内報

22,831件

#社員紹介

6,651件

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!