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DACグループ思い出リレー #5 福井丹三編<後編>

前編では福井さんの入社当時の話や名古屋営業所異動当時のエピソードを語っていただきました。今回は福井さんの成長に影響を与えた出来事や、福井さんが考えるDACグループの転換期についてです。


グループ経営の意味

私の成長にも大きな影響を与えてくれたのは、会社の拡張をどのようにしていくのかという課題に向き合ったことです。
入社当時から石川社長は、複数の事業会社を運営していくこと、グループ経営の意味などを常日頃から発信していました。
「1本の矢(事業)では弱いが3本の矢(事業)であれば簡単には折れないし強い、どんな不景気な時でもグループとして運営していくことで社員を守ることが出来る」
という考えです。
名古屋所長時代は法人化を目指しており、どうしたら会社を大きくしていくことが出来るのか、そしてどんな環境下でも倒れない強い組織を作るにはどうしたら良いのかと考え、東京本社のスタイルを全国で事業化していけば良いのだと結論づけました。
今では当たり前な体制になっていますが当時地方営業所でその体制を最初に取り組んだのは名古屋であったと認識しています。

鬼より怖い社長からの一言

当時の石川代表は今の若手社員は想像もつかないかもしれませんが鬼よりも怖かったと記憶しています。
成長が遅い当時の名古屋営業所へ4ヶ月間くらい常駐して福井体制でいいのかをチェックしに来た時期がありました。
毎日のように叱咤激励を受けて色々と気づきを与えてもらい、足りない点を社員に直接指導いただいたことで、最終的に社長から問題なしという判断をいただいて続投になりました。
社長が名古屋から東京へ戻る日、見送りに出るとタクシーの窓が開き、社長がニコっと笑って一言
「しぶといな」

今でもこの一言は忘れていません。
勿論良い意味で受け止めています。諦めなければ何度負けても次がある。
そんな風に私は解釈をしてここまでやってきました。

「働きやすい環境を」
その思いは原点であり成長へのキーポイント

まだまだ語りたいことは沢山ありますが、DAC成長の大きな転換期と認識していることを紹介させて頂きます。
私が入社する前、約30年も前から石川社長は女性活躍推進を構想していて、その当時あったメンバーが女性だけのメディアエイトという会社もその一つであったと覚えています。
今でこそ女性活躍という環境や取組は当たり前になっていますが、30年ほど前から「女性が活躍する会社は成長する」という信念のもと、経営判断としてその為の場を作ってきた社長はやはり凄いなと思います。
そして、その期待を受けてチャレンジして頑張ってくれた女性社員の多くは今も幹部として活躍されていますね。
今、あたり前に働きやすい環境があるのはそういった先輩たちが道を開いてくれたからです。
最後に、
「自分たちの世代が役割を担って下の世代が安心して働ける環境を作ろう」という同世代の仲間との誓いが今も自分の原点としてあるような気がしています。
そして、それはもともと社長が実践してきたことでした。
社員を家に招いて、社長が社員とコミュニケーションをとったり、今は亡き奥様が社員の家族のフォローをしてくれたりして、「大家族主義」を体現してくれていました。
私自身、社長の真似をすることで、多くの人たちが良い方向にまとまることにつながったことも多くあったと思います。
そう思えば、社長の社員への思いがDACが成長する上でのキーポイントとなっていたんだなと感じますね。

次回は・・・

次のバトンですが、ちょうど育休から戻ったばかりだと思いますが、デイリー・インフォメーション中部の岸さんに渡したいと思います。
今でこそ2児の母として、ギリギリまともになりセーフラインですが、若かりし頃は本当にぶっ飛んでいたのでその辺を披露してくれればと思います。

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