DACグループ思い出リレー #19 福澤和夫 編〈後編〉
中編は北海道拠点の立ち上げの際のお話でした。後編は法人化してから実際に営業を始めたときの苦労と、様々な経験を経て、今福澤さんが思うことについてです。
本当に大変な日々のはじまり
営業がスタートしてからは本当に大変でした。
北海道ウォーカーは毎月2回発行され、そこに毎回20ページのクーポン企画があり、そこに掲載してくれる飲食店さんなどを探します。
毎週のように入稿がありました。クライアントは飲食店さんが主なので、基本的に閉店後に伺うことが多く、毎日帰るのは深夜・・・。資金に余裕もなく、代金を回収できないとお給料も払えなくなってしまうので、毎月銀行に入金するのもギリギリで、本当に必死でした。
集金したその足で銀行に駆けつけ何とか給料振り込みのスケジュールに間に合うなんてこともざらにありました。かなりキツイ経験でしたね。
その後、人員補充として、ちゃんとした経理も採用することになり入ってきてくれたのが今もESDで活躍している赤坂さんです。六角さん、鈴木さん、東さんが入社し、そして新卒で清水さんが入社してきたすぐあとくらいに東京に戻ってきました。
余談ですが、最初に冷たくあしらわれた担当者さんはそのあと、とても私たちに親身になってくださって、尽力してくださいました。何とかやってこれたのはその担当者さんのおかげだと思っています。今はお亡くなりになってしまいましたが、とても感謝しています。
自分にしかできないことって?
東京に戻ってからもいろいろありました。
DAN、DINと勤務して、九州にもいきました。
九州でも色々大変だったんですが、長くなってしまうので、またそれは別の機会にでも…。
それにしても私はDACの中でも相当古株になりますが、今こんなにグループの社員数も増えて、立派な事務所に入って・・・感慨深いですね。
こんな風になるとは思っていませんでした。
石川社長の実行力・実現力にびっくりさせられます。
私は営業の成績が良いほうではありませんでした。
優秀な人が周りにたくさんいたので、「自分にしかできないこと」「自分だからこそできること」を意識してやらないと営業成績だけで言えば負けてしまいます。
そのせいもあって、あまり人のやらないことをやってきました。
そういう自負が自分のモチベーションになっていたところがあるように思います。
今もホールディングスの役員として、経営管理をする立場として、これまでの経験とDACグループへの思いをもとに、「自分だからこそできること」を形にしていこうと思います。
次回は・・・
次はデイリー・インフォメーションの新井社長にバトンを渡したいと思います。新井さんは私以上に古株でいろいろな経験をされていますので、楽しみにしていてください!