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DACグループ思い出リレー #33 佐藤忍編〈後編〉

前編は入社の際のエピソードや営業一筋で頑張ってきた話などを伺いました。後編はマネジメントについての考え方が変わった出来事などです。


イースト・デイリー東北営業所へ

現時点での自分なりのマネジメントへの一つの答えが得られたと感じたのは東北のメンバーと出会ってからです。
2019年12月、それまでのデイリー・インフォメーション東北(DIN東北)がピーアール・デイリー仙台営業所とESD東北営業所に分かれることになり、統合業務で仙台で勤務することになりました。約1年半ほど常駐しESD東北営業所を見ました。
それまで自分自身、「業績」ということに拘ってきて、チームのメンバーにも厳しい指導をしてきましたが、ここではそのやり方を変えました。

普通、他社から責任者が来る場合構えちゃうと思います。どんな人なのか、過去の指導の仕方とか情報を同期から聞いたりして。
※私が逆の立場でもそうですし
なのでどのような形で社員の皆さんに私をアプローチするか、受け入れていただくかを考えました。私なりに導き出した答えは、
「こういう責任者であってほしいという理想が誰しもあるはず。それになろう!」ということでした。

理想の上司とは〜マネジメントの答え

理想の上司像、、、自分が逆の立場だったらどうだろうか、、、と自問自答し、
「自分が求める責任者」=「自分の人生(未来)を考えてくれる人
となりました。
野望を持っている人、現状の自分を変えたい人、広告でNo1になりたい人などなど・・・。
それぞれ一人ひとりの人生の幸せを少しでも手助け出来るように取り組もう となりました。
※勿論、業績確保がなければ全くダメですので。「業績確保」先行型ではなく「社員それぞれの未来作り」先行型のアプローチであとから業績はついてくるという信念でやってました

これまで各社が何年も手助けしてくれて、それでも業績が上がらない時期が長くて、同じことではなく振り切らないといけないと思ったんです。
メンバーはみんな自信を失っていました。
普通に考えると、今期のスローガン、今月の予算みたいな点の業績や手前のことではなく、長期的に自分の人生をどう豊かに生きるかということを考えて生きているわけじゃないですか。将来や数年後はどうなりたいか、というのが本当はあったけど、みんな目の前のことに追われてしまって忘れてしまっている人が多かったんですよね。
でも、基本はみんな広告が好きで入社して、営業としての能力を発揮した人もいれば、まだの人もいる、大前提としてみんなを信じて、それぞれの人生で成し遂げたいことが成功するように手助けすると話しました。
基本はみんなできるということを信じて一人ひとりの個性を見ながらやろうと思ったんです。
コロナ禍もあって価値観が変わってきていたこともありますね。
でもそうすることで結果的に業績も上がりました。
社員はみんな誰でも一人の人であって業績を上げられるから偉いというわけではない。
人に上も下もない、一人の人として尊重しようという考え方に至りました。

仙台でNo.1の代理店になる!

東北メンバーの皆は広告が大好きで、プロ意識を強く持っています。
(正直、札幌メンバーよりも仙台メンバーのほうがそれを感じました。北海道とは異なり、首都圏と陸繋がりの仙台、競合が多い状況もあるからだと思います)
仙台立ち上げからの諸先輩の方々から築き上げたこのマインドは移動当時、本当に感動しました。
※ただ細かいことが苦手だったのも覚えてます(笑)
その仙台メンバーとスローガンを考えたときのエピソード。
【近い将来(3~5年後)仙台でNo.1の代理店になる】と私が話した時、多くの社員がそれに向かって進んでいきたいと声を上げてくれました。
大きな組織改変があり10人ちょっとの人数体制、ESDという新しい組織で不安もあったと思います。
でも、
「広告が好きで広告でNo.1になりたい」
というあの日の皆の思いは本当に忘れません。
仙台のみなさん、本当に感謝しています。
コロナの影響もあり、今はその襷を根岸さんに引継ぎましたが、
私は今でも目標達成に向け諦めていません。必ずNo1になります。

2020年のスローガンを掲げて

今はESD本社で勤務していますが、業績も安定してきました。このメンバーで更なるチャレンジをしていきたいですね。

次は・・・

次にバトンを渡す人ですが、DIN九州の本村さんにお願いしたいです。
昔からバイタリティ溢れる方で、尊敬していますし、個人的にも興味があって人生観を知りたいですね。


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